2010年08月24日

信仰、良心、命

古い話ですが、たまたま図書館で借りたDVDの中に、「いのち尽きるとも」というイギリスの王室ヘンリー8世に仕えたトーマス モアの映画があったので、見ました。トーマス モアは教科書にも載っている人物です。ヘンリー8世は、ローマ教皇から、自分の離婚が許されなくて、新たな花嫁を娶ることができないことをもって、ローマカトリックから独立して、イギリス国教会を始めた人物で、王権と教会権を兼ねて所有した人です。その仲良し友であったトーマス モア(司法官)にも賛同してもらいたく、迫るが、トーマス モアは積極的には決して認めず、沈黙することにより、自己の態度を表明しなかったために、断頭台に消えた。最後まで、自己の法令と良心に従い、国民皆が首肯したことも、賛成しなかった。
今日流に言えば、信仰を取って、世の権力に屈しなかった為に命を捨てた。
今日の仏教界に キリスト教会にもなかなか命をかけた信仰を見ることは稀である。イスラム教徒は 変な形でテロを行うための自爆自己犠牲により、命を捨てることも 9。11以後良く見かけることです。

しかし、統一教会の信者の中に、誤解と偏見の嵐の中でも、12年余りの拉致監禁と強制改宗の圧力にも屈せず、信仰を守り続け、人権を踏みにじる一部の牧師(拉致監禁をそそのかす)やジャーナリスト、弁護士、また国家司法や警察権力と正しく向き合い、戦っている人がいます。マスコミの偏見と誤解が事態をゆがめてきました。

昔、日本の戦国時代や徳川時代 バテレンと呼ばれて、キリスト教に触れた人達が迫害され、転んだり、信仰を全うして、26聖人のように後世、福人に列せられるクリスチャンもいました。

今日、信仰の有る無しは別にしても、良心を裏切らずに 生きるか、この世に妥協し、しっかりとした責任も負わないマスコミの情報を鵜呑みにして行きているか 問われます。

神様はいます。 仏様はいます。呼び方はいかようにでも良いですが、良心に働きかけ、その声に従ってゆくことを期待する眼に見えない主体がいます。
教育はもっとそうしたことを教えられる教育になれば良いのですが、 日教組では、無理ですね。
幕末から明治に変わるような時代の転換に行きていることを知る人が多くならんことを。








posted by バーナードショー at 00:00| Comment(0) | 物を燃やすことを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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