2011年06月19日

Juniverse& 日本の無宗教性

宗教学者の島田裕己氏の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」(角川書店)という本があります。

日本人が誕生、結婚、正月、葬式などにおいてとる行動様式が外国特に一神教のキリスト教、イスラム教世界からみると奇妙奇天烈に感じられることや一般人が「あなたの宗教は?」と問われた際に「特にありません」とか無宗教と答えることなどに対し、そうではなく、そこには歴史的に育まれて来た日本人独特の思考様式があることを認め、宗教的価値観信仰の違いから戦争や紛争が起こって来たことなどに対して、
何でも受け入れたりする日本人の宗教文化に積極的意義を見出そうと評価しています。

筆者は、昔受験勉強の頃、加藤周一の「日本の文明史的位置」という本の中だったか、戦後発表した「日本 雑種文化論」にひどく共感を覚え、文化人類学を専攻しようと考えるきっかけともなった文化論がありました。日本に歴史的に培われて来た独特の文化の中に、更に明治以後西洋文化文明の成果が切り離せない状態にまで入り込み、なんだか雑種のような様相を呈しているが、そこに独特の価値を認めて行こうといった論旨だったように思います。

筆者も日本人または日本文化は、骨のないイカ、たこのような無脊椎文化 骨無し人間のようにも一部思っていました。これも偏見ですが、上記の如く、神道文化も仏教文化もキリスト教文化も一人の人間の中にごちゃまぜのようになっていて、原則原理のない人生観の持ち主のように一般日本人を考えていました。ところが、島田氏の論は、無宗教のように見えて、ちゃんと判断された評価できる筋があると言います。「和をもって尊しとせよ」という聖徳太子の十七条憲法の精神が現代にも生きているその日本人と日本文化がこれからの世界の平和に貢献するものがあるとの意見に頷くものがあります。

こうした和の心をもつ日本ですが、深いところに柱か原理となるものがあって初めて本当に日本文化や日本が世界の平和の砦になる道が芽生えるのではないかと思っています。その原理とはなんでしょうか? 日本は海に囲まれた自然豊かな和の女性性の文化だとすれば、他方に男性的 骨格的文化の価値と相対する必要があるのではないでしょうか? 統一の原理 これが結論にしたい。




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2011年06月18日

無神論の禅

本源はお釈迦様に罪を問うものですが、一般に禅宗は大乗仏教の中に入れられます。大乗仏教は、それぞれの経典を重んじる宗派により信仰の主と仰ぐ存在の名称は様々でも、弥勒仏なり観世音菩薩なりを信仰するものです。しかし、本来、禅は、無神論で、修行によって何らかの悟りの体験を命とするものです。それは自己と向き合い、対決し、「世界」に対する直観を命とします。あの世の「浄土」を求めて往生を願うものではありません。従って、自己を拠り所とし、普段の自我を離れようとします。そうした修行的態度はとても同感できるものですが、
あの世をばっさり否定し、霊魂云々もばっさり切り捨てます。その思想の淵源はお釈迦様から来ています。

これが致命的に有神論、論ではなく、永遠の無形なる真の父母、創造主を悲しませている仏教の課題です。それを説いたお釈迦様の天上世界における未だ消えることのない、悲しみの負債です。仏教者には考えられもしない驚きの話です。

秋月龍岷(みんは山へんではなく、王へん)の「現代を生きる仏教」平凡社に限りませんが、禅の特徴と上記の仏教主張が明確に語られています。梅原猛の思想に反論しながら、無神論仏教の弱点を明確に表しています。尤も、氏は禅者ですから禅の立場をしっかりと主張するのみですが、弟子は師を越えることはありません。お釈迦様を越えて、「神」「仏」を見出した禅者ではないようです。しかし、秋月氏は言います「私の言う無神論は、近代人が言う自我と世界はあるが、神はいない、というものではなく、無の神、絶対無の場所ということです」と。言葉で言うとあれこれ対立軸がでてきたり、反論であったり、しますが、実はどこからどう本質を見つめるかということにもなるのではないかと思います。それが真我であれ、仏であれ、創造主であれ。禅者が「神」を否定して何か得るものがあるのでしょうか? どこにも安易に考え、安易に寄り添う人はいるものです。
秋月禅師が本物の禅師であることは、「新大乗仏教」を提唱している心構えからも推察できます。
但し願わくば、キリスト教で説く創造主の否定をしないことを。 お釈迦様と同じ悔いに至りますから、いつか「来世」にて

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2011年06月15日

アショーカ王と超宗教政策

「人は自分の宗派だけを崇拝して、理由もなく他の者の宗派を軽んじてはならない。軽視したりするのは、特別の理由がある時だけにすべきである。何故ならば、他の人々の宗派はすべて何らかの理由で崇拝に値するからである。このように行動することによって、人は自分に宗派の地位を高め、同時に他の人々の宗派を助けることにもなる。これと反対の行動は、自らの宗派を損ない、他の人々の宗派にも害を与える。自分の宗派を崇拝する一方で、自分の宗派に対する愛着から、他の人々の宗派を軽んじて自分の宗派の栄光を高めようと意図する人は、そのような振る舞いによって、実際には、自分自身の宗派にもっとも深刻な損害を与えるのである」

この文は驚くことに、2000数百年前のインドのマウリヤ王朝のアショーカ王の勅令です。現代においても堂々と主張するに値する文です。それぞれの宗教 宗派の壁から抜け出せない多くの、キリスト教会、仏教の寺宗派の関係者に問いたいものです。そればかりでなく、マスコミのニュースに乗って宗教やある宗派や教団に対する偏見をもつ多くの人々にも謙虚になって考えてほしいものです。

現代において、上記のアショーカ王の碑文を上回る態度や思考する人がどれくらいいるでしょうか? 過去の帝国や王国においても、宗教政策を如何にするか政治指導者達の心を悩ませた多くの事実があります。豊臣秀吉のキリシタン禁教をはじめ、ローマ帝国でも一応寛容政策をとっていたようですし、イスラム教のオスマントルコにおいても、非モスレムに対して、税金さえ払えば敢えて信仰は問わないようでした。
日本の社会において、最も誤解や偏見にさらされている教団の一つは、統一教会でしょう。真理探究の大学においてすら、思想信条の自由を憲法的に犯している事態がある程です。しかもそれは、旧 国立大学においてです。千葉大学 筑波、大阪大学 岡山その他においてもです。カトリックの上智大学やプロテスタントの明治学院大学その他キリスト教系の大学は勿論異端として 排除的です。

アショーカ王の忠告は耳に届かないようです。愛を説くキリスト教においてです。現代の「魔女狩り」と同じでただ暴力を使わないだでけです。しかし、その中には、拉致監禁 強制改宗して大もうけする牧師や弁護士や拉致業者がいるのですから、もう開いた口がしまらないほどえす。さらに、警察も検察も放置するという意味において、同じ穴の狢です。精神はこれほどまでに2000年前から一切進歩していないことも驚くべき「奇跡」です。
マスコミ メデイアも同罪でしょう。尤も、他者ばかり非難していても仕方なく、信仰者として悔い改めるべき処は悔い改め 世の中に通じる努力が必要ですが、そのプロセスにおいてすらそれを阻む勢力があることは、悲しいものですね。アージュ





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2011年06月12日

全体宗教

学者 文化人と言われる人々の著書の中に、日本の多神教的文化の良い面ー他の宗教やそこから発する文化的行為を排除しないといったーを論じ、ユダヤ/キリスト教やイスラム教の絶対神以外認めないという一面的?閉鎖的?非寛容的態度にクレームをつける論評に接することがよくあります。異端とされる信仰を排除し、魔女狩り的なことは多神教的文化をもつ日本では起こらない、といったりします。

歴史的には理解できます。また、現代でもイスラム教徒による仏像破壊やアイルランドでのカトリックープロテスタント闘争もありました。

しかし、日本人にように、様々な「神様」が自然界にも人間世界にもいるように信じて、彼/彼女の神も批判することはなく、彼/彼女も一人に人格をもった尊い人として尊重する(基本的人権を)という態度を一貫してもっているのでしょうか? 真理探究の府と言われる大学においてすら疑問が大いにあることを指摘したいと思います。 会わせて、儒教がもっている秩序を重んじる要素、一神教がもつ姿勢、仏教の良さ?なども会わせて考えたいと思います。

先ず、主要大学において、学生が「統一教会」だと理由で進学なり入学を拒否されるという事態が現在起こっています。しかも、入学式時にオリエンテーションでそんなことを言う学長なり、事務局役員がいるという愚かしいことがあります。それが思想信条お自由をうたった憲法をもつ日本の学問の府においてです!! 千葉大学 大阪大学 筑波大学 などという大学においてすらそうなのですから、呆れて物が言えない程です。 真理探究の府だというのはでたらめでしょうか? 真理ではなく、真実がどこにあるかを調査してから言え!とさえ言いたいくらいです。
日本のマスコミだけの情報に乗せられ あるいは乗って自分の態度を決める学問の府がありますか? 「統一教会」が展開している世界的
問題への取り組みと平和活動 啓蒙活動 スポーツ芸術活動 貧困への取り組み支援活動 科学技術平準化、などなど枚挙に暇が無いくらいです。 大学の情報ネットワークの背後で暗躍するグループに乗せられていることをしっかりと学問的態度で追求したらどうでしょうか? 統一教会の主張は偏狭なものではにのです。大学関係者はもっと目覚めたらどうでしょうか?

超宗教超国家超民族的ビジョンとその活動を展開しているのも統一教会です。話が飛躍しますが、韓国の現代ドラマを見てみて下さい。
不倫その他凡そかつての儒教倫理の国、韓国の姿はない、と思われる程、人倫の乱れたドラマが多いように思います。儒教も現代の世俗の力には叶わないのでしょうか? 天地創造の唯一の神を信じる真摯な精神と家庭内秩序を重んじる儒教の性格、仏教の(お釈迦様の教えから遥かに離れてしまったが)先祖を重んじる態度、などなど それぞれの宗教を糊づけするわけではないですが、「天」を重んじる総合的宗教が人類に築かれるべきではにでしょうか? 統一教会はそうした性格と革新的価値をもっているのです。それを学者たちは謙虚に調べてみて欲しいものです。過去を研究するばかりが良いのではないですから。

過去の宗教も迫害と偏見に見舞われて来たのです。今の統一教会を見る偏見の学者と同じように。 














 

posted by バーナードショー at 17:09| Comment(0) | 宗教を学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

文鮮明先生 自叙伝

「平和を愛する世界人として」という文 鮮明先生の自叙伝が一昨年より発刊されています。
師父 文先生は、韓国の世界的歴史的宗教指導者であるのとどまらず、人類の「真の父母」、「平和の王」であられる。更に言えば、「メシア、救世主、真の父母」として天が認め、自らもそのような称号を話される。
これは仰天動地のメッセージであるにも関わらず、世界は、宗教界は、無知蒙昧として日々の生活をしている。
また別に「平和神経」という世界講演された折折のメッセージをまとめられた本(経典に等しい)には、イエスキリスト、お釈迦様、マホメット、孔子、ソクラテスをはじめ聖賢達が連ねて、文先生がいかなる方であるかを天からメッセージを送ってきている。信じなければ、作り話と思うでしょう。そればかりか、日本の過去の政治指導者や宗教者(高僧といわれる人々)、アメリカ歴代大統領、ヒンズー教の指導者、韓国の歴代皇帝国王、キリスト教の12弟子、仏教の10大弟子たち、ローマ法王達、アメリカのメデイアで著名だった人、などイスラム教の歴史上の著名な神学者達 なども霊界からそうしたメッセージを送ってきて、如何に現代、文先生が御在世中にその偉業を知り、従ってみ旨を行うことが羨ましいか を知らせてきている。

思想哲学は勿論、世界の宗教界、言論界、学会、政界、など様々に長年のご努力で真理と世界の行くべき道を知らせてこられてきたか? 未だ世界は無知蒙昧海に小船を浮かべてさまよっている。
東北大地震どころか マグニチュード100くらいの激震が世界を揺るがすことになることを知らないこの世は、嘆かわしい。
2013年初め、新たな歴史の起源が定立される。予言ではない。

2011年6月3日の独り言。






posted by バーナードショー at 15:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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