2011年05月28日

イエスの涙

ピーター シャビエル著「イエスの涙」を読んでみられることをお薦めします。
前にこれに書いたかもしれませんが、この本は、キリスト教会(カトリックもプロテスタントも含め)がイエスの十字架を罪の購いの象徴として、あるいは首にかけて信仰の証しとしてきたものですが、この小説の中では、多くはないが世界各地で教派を問わず、その十字架を見たり接して「嫌悪感」を生じるシンドローム(症候群)が起こることを題材にしたものです。しかし、これには、特にカトリック教会に対して
突きつけている鋭い課題を含むテーマになっています。

即ち、この「十字架嫌悪シンドローム」を感じる人達はこの現象をイエス自身から来ている啓示だととらえていることに対して、カトリックの聖職者達が一概には信じられず、検証を必要としていることを序文としながら、ある青年が神父に、そしてその青年が学生時代に出会った女性がシスターになってゆく二人を追いながら、その女性もシンドロームを感じるようになることから、そえrが一体何故なのか 十字架自体は一体何なのか?という深い疑問を呈しています。 

十字架は、最初から人類の罪の購いとしてイエス様が受けたのではなく、あくまでも あくまでもユダヤ人のキリスト不信の結果として、
神のみ旨への無知の結果として起きたことであるという正にその象徴が十字架であるために、純粋に素朴にみれば、十字架は神の悲しみ、苦痛と苦悩の象徴であるために、そえをみると気持ちが悪くなり、嫌悪感 吐き気を催す現象となるという事件を題材に展開された小説です。

全世界のカトリック教徒 バチカン、牧師 そのた全てのクリスチャンへの強烈な疑問を投げかけているこの「イエスの涙」の本が
できれば、映画になり、またオペラなどの舞台になって 世界に大きな衝撃をもたらすようになることを願っています。

脚本作家、映画監督、プロヂューサーなどいませんか?




posted by バーナードショー at 13:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

宗教界の交流

以前にも同じことを書いたかと思いますが、 日曜日遊んでいるお寺のお堂で、キリスト教の説教集会を開くことを許すお寺の坊さんが
いないのでしょうか?そんなことを進める坊さんがいたら、その宗派の本山からクレームが来るのでしょうか? それともそのお寺の宗旨に傷がつくのでしょうか? 
「頑張れ 仏教」の本を書いている学者もそこまでは提案していないでしょう。 カフェお寺 とかイベントお寺とか ジャズお寺などはあるようですが、もっと中身に突っ込んだ開放をしてゆかなければ、時代はもう仏教の教えが 人々を導く教えとして光を失ってしまいます。
既にそうなっている向きもなくはないようです。

革命的なあり方で布教していった親鸞や日蓮 道元師から早800有余年 その気概ははるか昔に失われ、色あせているお寺に喝!をいれる
禅寺 禅宗の坊さんはいないのでしょうか? 

キリスト教会もイエス様のみを救い主で、勿論でしょうが、他宗の宗祖もそれなりに尊重することを表し、教会に坊さんを招待する度量がなければこれまた時代ではなくなります。 天界では、イエス様もお釈迦様もマホメットも孔子もいっしょに現代の革新のために働いておられるのに、全く全く知らないで、地上では他宗として 交流できない現実の愚かしさを悲しく思われています。


これが分かる方 なんとかしましょう。





posted by バーナードショー at 23:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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