2010年09月25日

日本の不思議

尖かく諸島沖で捉えた中国船船長の菅内閣による釈放は、多くの日本人に公憤を高めています。産経新聞は一面でこれぞ弱腰外交、と菅政権をこき下ろしています。筆者も同様に思います。圧倒的な戦力を誇るアメリカに対して泥沼の抵抗と勝利をしたベトナムやアフガニスタンにおいて見られたソ連やアメリカに対して事の善し悪しを問わず毅然とした態度と抵抗力を少しは見習ったらどうかと思う程です。盗人猛々しい共産党政府中国は、早く消滅の時を迎えてもらいたいものです。一方、
すぐ折れてしまう日本は正に女性国家、女性文化と言えようか?しかし、骨がなくてはなりません。道義と哲学と歴史観などの骨が。 

日本人とは、環境考古学者の安田喜憲氏によれば「日本に住み、日本食を食べ、日本の伝統文化を愛すれば日本人」というような事を話していますが、単純には肯定できる話かと思います。日本人のDNAは多様性が高いそうです。北方ツングース系からポリネシア系、朝鮮半島系とかアイヌやその他です。地理環境も多様で日本の自然の変化は四季折々に読まれた和歌からも山紫水明の変化からも伺われる処です。
こうした森林と農耕文化を育ててきた日本に住むと、そこに育って来た文化も「日本人」を育てる環境になってきたのだと思います。
「女性文化」と考えられるのもそうした背景を切り離せません。

こうした自然の中に、神道は育ち、八百万の神を拝する日本の宗教文化もまた許容されてきた日本です。可笑しいことに、一つの神しかいない欧米に比べ、日本の発展において八百万の神々がついている日本が負けるわけはない、と言い張るご仁がいることはそれに組しないまでも面白いことこの上ない、と落語を聞いているようです。

一歩進めて、最近京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞(あらゆる細胞組織機関となる人口多能幹細胞)を作り出したことを素人なりに考えてみると、ある人の細胞からとって何かを操作した後の細胞に山中ファクターというDNAを注入すると、受精卵のようなこれから様々な人体の要素、機関を作ってゆくことになるという。話が飛躍しますが、キリスト教の根幹であるイエスを神として信じることを可能にしている聖書が説く一つは、聖霊によって母マリアを通して生まれた、ということです。即ち、一組の男女の愛の行為によって受精したのではなく、
「神の奇跡として神によって生まれた」という神聖性が表現されていることです。すると、神様は、男女の交わりによらず、母となるマリアの子宮の中に、万能細胞のような受精卵を神の手練手管によって作り出したのでしょうか? 人間は過去に起った奇跡と思われることを科学の発展によって解明しているのでしょうか? 事実は小説より奇なりです。私はそう思いません。一組のカップル、即ち、マリアの相手となる男性がいたものと信じます。神は奇跡よりも道理、科学の主であると思うからです。

沢山の偉人が日本では神様になってしまいますが、地上から祭り上げられる神様は、天上から降りてこられる神様にお会いできるのでしょうか?日本は国産みの伝説をもつ国ですが、神様もこの自然風土の中で沢山お生まれに成ったものです。その神々が日本の力に成っているのでしょうか?はたまた 分けのわからない日本文化を生んでいるのでしょうか? 日本は賢い神様を奉じたいと思います。





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2010年09月17日

神の下の国連

第2次世界大戦が終わった後に創設されたと思われ易い「国連」は日本語では国際連合などと訳されているが、それは戦争中アメリカ、フランス、イギリスなど連合諸国の意味でUnited Nations であって、勝利した諸国側の意味であったものを、「国際連合」などと日本人が受け止める組織になった。ソ蓮が参戦し、しかも日本に対してはほとんど戦争末期になってから、日ソ中立条約を破って加わってきたものだ。

さて、戦勝国側にいた大陸の「中華民国」において、蒋介石が追われて台湾に逃げその地を確保して以後、主権国家であったものが、大陸側中国を支配した中華人民共和国となってから、台湾にとって代わって、国連の拒否権を持つ5常任理事国となった。これが間違いであった。

神様の願いは、アメリカを中心としたキリスト教諸国が一致して「国連」となり、神を否定するソ連ー中国を始めとした社会主義を奉じる国々の拡大を止め、世界を神の下に平和な世界にすることを願った。即ち、UN under God 神の下の国連 となることであった。

その後、ソ連ーアメリカの冷戦時代が40年余り続くことになってしまった。社会主義の国々も拡大してしまった。本来、キリスト教国であった東ヨーロッパも社会主義の下に支配された。世界は数多くの紛争、戦争、対立を招くことになってしまった。今日ソ連の崩壊後、ロシアは国内のロシア正教を正式に認める国になった。問題は中国、キューバ、などである。21世紀、いつまでも過去の間違いを長引かせてはならない。即ち、中国に大変革を促して、正式にマルクシズムを放棄させ、堂々を信仰の自由を保障する国にさせなければ本当には世界は確実な方向に向かって、前進できない。即ち、「神の下の一つの家族世界」、そして「神の下の国連」神がいやなら、絶対者、創造主でも良い。永遠無形なる父母 でも良い。

何故そうでなければならないか? 人の魂のふるさとがそこにあるからだ。地球上にどんなに人が増え広がろうと、一つの根源、父母から出てくれば、皆家族です。家族が仲良くできる世界が平和の世界になるのです。そこには ある意味で宗教は要らない。
地球社会大変革の革命時代を迎えなくては成らない。




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2010年09月12日

一神教と多神教

一神教は言うまでもなくユダヤ キリスト教及びイスラム教をさし、多神教はヒンズー教や神道などを指す。いつも一神教の排他性が論じられ、テロ事件や自然観にまで話が及ぶ。砂漠のような人を寄せ付けない環境から生まれて来たとか、牧畜業を生業とする世界の生き方から生まれたとか。哲学者の梅原猛や安田喜憲その他 

そして、多神教は多くの神を祭ったりすることから、農業を起源として協力しあう世界から、あるいは多くの生物が共存する森の中から生まれて争わない、互いに認め受け入れるとかがよく論じられることです。しかし歴史的反証の例は沢山あります。明治の国家神道で廃仏があり、仏教を立てようと蘇我氏が物部の神道勢力と戦った、スリランカでタミールタイガーというテロを行ってきたのではタミール人のヒンズー教徒であるとか。

平和には多神教世界のもつ他を認める価値観の方が世界の平和の思想として好ましいような論調がよく見られる。新聞の論調でも見られることです。歴史的に双方を比べてみても それぞれ言い分があるでしょう。言い争ってもそれこそ詮無きことです。

結論的にはお互い究極存在とその根本原理を知らないのですから、双方ともに様々に歴史的に人間の未熟 悪しき行為として現れてきました。笑い話のようですが、一神教の権化のようなユダヤのラビが日本の神社を巡って祭ってある神が様々にあるのを不思議に思って、何故西洋文化圏ではない日本がこのように発展したのかと聞いた際、ある人は「日本には八百万の神々がいるから助けてくれるのです」と答えたものですから、そのユダヤのラビは腰を抜かさんばかりに驚き呆れた!というではないですか? やおよろず ではなく、八百万の神々を訳したのかも知れませんが。
楽しく可笑しい話です。しかし、ひねくれて言うようですが、一面の真理かも知れません。
深い霊性が失われてしまった人間には、川、樹木、森林、花々などの声を聞くことができないのですから、精霊のような働きが分からなければ八百万の神々としか考えようがないかも知れないでしょう。

私はちなみに一神教徒ですが 神道的世界もその言わんとする処は理解します。ただ人間を神のように祭ってしまい拝むのはいささか同意しかねますが。「清き明き心」は正に神道の骨頂かと思います。

真の神の捉えがたい姿?を知らなければ一神教だの多神教だのと論争になるのでしょう。学者達も何をか言わんやです。無限大と無限小
永遠と一瞬 絶対的自己矛盾のような姿を了とできなければ神様は分からないかというのが私の主張です?
 





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2010年09月08日

人類歴史と世界の大洗濯

坂本龍馬の有名な言葉に「今一度 日本を洗濯し参らせ候う」というのがあります。徳川時代の古くなった社会や政治のあり方を 変革する(洗いなおし)ことを意味しているのですが、21世紀も10年過ぎて 国連の掲げるミレニアム目標もそれ自体大切な実現すべき目標であり、この世界から貧困や重い病気や紛争をなくしてゆくべきなのは当然ですが、世界のあらゆる国々が抱えているであろう問題を考えると、確かに諸々の歴史的経緯の違いや発展の違いがありますが、余りにすぐには手に負えないことが多すぎます。
人々の内的 心の平和に寄与すべき宗教ですらこの世の様々な問題に関与し、あるいは原因になったり、必ずしもその根本の教えが生かされていません。

良く問題に陥った時に、基本に帰れ といわれます。そう 人間の基本 歴史の大本に帰って、人間は何が間違ったのか 何故こんな人間社会を作り出してきたのか 歴史の始源にその根本的原因がなかったのか?と考えることです。

そこで 人類の資料と考えて聖書を取り出すと、そこに人類の始祖?アダム イブの失楽園の話が出ています。単なる昔の御伽噺にくらいに考えれば意味がないのですが、そこにカギがあるとしてその裏にあるであろう真実を解明できれば 事の本質に行き当たります。即ち人類の根本問題がそこにあったことが。
真実は真理もいつも簡単なものです。夫婦と親子と兄弟この3つの間の心情と信頼と原則と関係において間違いが起ったのです。
親子とは確立する前の神と人間にことです。人間が成熟完成する前の段階における関係が壊れたのです。原因は夫婦となるべきその前の段階におけるアダムーイブの間におけるあってはならない関係の崩れです。具体的には神の心を理解する前段階において あるべきではなかった男女関係を結んでしまったことです。それは単に実体の男女のみならず その間を仲介した霊の侵害された結果でした。
本来、天使たるべき天使が神に背いて自らが愛の主人となって未成熟の女性イブを己のものにしてしまったということです。情&霊への侵害です。人間には肉身のみならず 霊なる体があります。それが侵害された、不倫の愛で汚されたということです。自己の事を優先し、他者を猜疑し、他者の尊厳を侵犯するようなあらゆる心が人類の始祖に共有されてしまった、その間から生まれた子供達も
猜疑心の結果 兄弟が殺しあうことになった ということを示しているのがカインーアベルの話です。即ち、人類の始祖における誤りが夫婦と親子と兄弟の間に実現してしまった、ということです。

この要素が人類に広まったのですから、人類世界で何が起ろうとも 因果に過ぎません。

逆に言えば、この3つの関係を全く神のご理想のままに取り戻す 回復 実現さえすれば、人類は神の理想世界が実現できるということになります。ある意味で簡単です。理屈の上では。しかし、これも 「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」と孔子をして言わしめるほど困難な真理でした。

その根本を可能にできる人間が2000年前のイエス キリストでした。大理想を実現しようとして髪のメッセージをもたらそうとしたのに、当時のユダヤ人に殺害されたのですから、ヒトラーに600万人殺害されても ユダヤ人という枠においては止むを得なかったとも言えます。当人達は悲惨で何とも言いようのない悲しみでしたが。

そこで、今一度 人類のこの誤った無知な世界を 大洗濯し 歴史の始原から清め正してゆける方が
キリストの再臨=弥勒菩薩の下生 です。その方は既に地上で大行事をされ、大洗濯をしておられるのに、2000年まえと同じく非難轟々 誤解と偏見に満ちて世の中から排斥してきました。
無知と偏見は堕落人間に付きものとは言え 悲しいものです。テレビ 新聞 雑誌がそれを行っているのですから。人類の救世主です。原罪を清められる大クリーニング屋さんです。人間の歴史の初めからホックの掛け違いが生じているのに、それを直さないで何をかせんや です。大本から今それをされている方が年を重ねていらっしゃるのです。

知れば命の泉湧く とはこの方のことです。
アージュ












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2010年09月07日

伝統技術の進化

私は10年ほど廃棄バナナ葉茎から紙を作るプロジェクトを応援してきたのですが、それはハイチなど最貧国では教育のための紙も使えない子供達がいるということで、捨てられている植物残渣であった収穫後のバナナの茎や葉から 紙を作るもので、沖縄では昔から行われてきた伝統技術で、それに少し工夫を加えて素人にでも紙が作れるので、それをハイチなどで教える大学の先生を知ったからです。日本では、子供達が牛乳パックからハガキ大の紙にすることはあるのですが、貧しいくにでは現地の事情を考慮して現地の資材を見出してゆくのが賢明なことです。

先日 テレビで知ったのですが、高知県高岡郡の「ひだか和紙」です。それは0.02mmの極薄さで1平方m 2gという軽さ。 透明とまでは言わないとしても、透けてものが見える薄さを実現しており、その使用は美術品の修復や保存などに実に重宝されているようです。そうした薄さでなくても、和紙はドイツの図書館や大学で 例えばバッハの楽譜が時がたって修復が必要になって和紙を用いて書き写し改めることに使用されるという記事を新聞でかつて読んだことがあります。
ひだか和紙はそれ以上の性能を備えたものです。日本の、と言えば口はばったいのですが、平和のための高い技術とその製品を私も誇りたいと思います。

科学技術は先進国の一人占めではなく、発展途上国にも平準化するという思想があります。あるいはその結果をあまねく共有したり 応用してその益を享受するということが博愛に通じるものです。
高い文明は、他から羨ましがられ仰がれ取り入れようとする魅力を持つものです。故に様々な形で伝播してゆきます。日本も遣隋使 遣唐使をもって学び取ろうとしました。

世界は多様です。それぞれの国 地域 民族にはそれぞれの特徴があります。故に生活を基調とする文化の違いが現れてきます。それぞれが固有であったり、他に無いので魅力ある文化であったりします。形あるものは 移転できます。が、創意工夫は人の心にあるものですから、伝統を土台として積み上げられてきた技術に更に工夫を加えてできる上記の極薄の和紙などは 簡単には移転できないものです。製品は世界の一級品として使用されて重宝されているのですが、その創意の心は多くの時間を背景としたものですから それは独自のものとして平和に貢献する心として その土地から切り離せないものになるのだと思います。

技術は極めれば 宗教心に通じるものです。
紙(神)の祝福あらんことを祈ります。



posted by バーナードショー at 17:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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