2010年03月31日

霊界からのメッセージ

前回 お釈迦様の霊界からのメッセージを書きました。信じられないかと思います。が、何故お釈迦様だけ?となります。そうです。私たちが高校までの教科書にでてくる名の知れた政治家や宗教者などの霊界あらのメッセージも沢山あります。

しかし、ここで考えてみましょう。人間は死んであの世で生きている?のでしょうか?
体がないのにどうやって? これがそういう霊的体験の無い人々にとって理解不能な事柄です。死後人間はどうなるのか という大昔からの人間の大問題 根本問題です。
スウェーデンの19世紀の学者でスウェーデンボルグという人が何度も天界、霊界を見て来てその内容を本に残しています。お釈迦様は霊界の問題について「無記」と言われて、そんな事を追求するな、と答えられました。弟子は師を超えるものではない、と言われることもあります。超えることはあるものですが、長い歴史から見れば拙いことを言われました。だからこそ、現実の理由からだけではなく、大乗仏教がでてきたものだと思っています。 
前回紹介しましたお釈迦様のメッセージは、自己否定の見解でした。自分の教えは間違っていたと。その述懐の一つとして「釈迦の生涯の中で最も困難だったのは、瞑想の時間という闘いの時間であった。そのような過程で悟りが得られなければ、それを得るために天
秘の世界を突き抜けていきたい思いであった。しかし、人間には、各々使命があるようである。釈迦の時代の器は、神が直接的に選択するだけの割当がなかったようである。釈迦はその真理を得るためにどれほど苦闘したか分からない。生死の脅威を感じながら、数多くの峠を越えてきたが、釈迦は神の直接的な人材ではなかったようだ。その時代に釈迦に下された悟りは、ただの平凡な真理に過ぎず、一時代の人間が善良に生きるように導くための真理に過ぎなかった。当時のこのような真理と紹介した釈迦の傲慢さがここ霊界であからさまになった。」
と言われています。信じますか この告白を。
宇宙が膨大であるように、あの世も膨大だと言われます。地球に住む我々人類が空気の世界に生きているように、あの世では、愛の「空気」を吸える人にならないと、あの世では苦しいようです。信じますか? 霊界にも、上流、中流、下流の膨大な層があるようです。神様はそのような世界は作らなかったが、人間の地上での生き方が結果あの世の世界を作っているようです。つまり、この世が良くならなければ、あの世も真に良くはならない、ということです。イエス様は「天国の鍵をペテロに預ける」と言われました。
仏教とキリスト教とイスラム教とヒンズー教も神道もゾロアスター教、ユダヤ教、などなどお互いの霊界や人生の根本についてもっともっと持ち寄って対話だけではなく、研究や
より高い世界を目指して交流することを願っています。実践したいものです。
霊界からの聖人のメッセージはまた後日紹介したいと思います。

posted by バーナードショー at 19:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

お釈迦様からのメッセージ

人が亡くなって行く霊界の存在を信じない、考えない人にはあり得ない話ですが、あの世は時空超越の世界ですから、昔亡くなった人(霊人)も昨日亡くなった人も霊界という世界では共に存在することになります。但し、地上で如何に生き、自己を完成に近づけたかによりますし、如何に神 仏と善のために犠牲になったり そのために尽くしたかによります。

そこで、地上で2500年前に生きてその後巨大な精神文化の源となり、人々の魂を導くことになったお釈迦様の霊界からのメッセージを紹介したいと思います。勿論、私が受けたものではなく、信頼できる筋からのものと言っておきます。

「仏教徒の皆さん、私は釈迦でございます。私は歳月の流れとともに、人間釈迦は生死禍福の主人が別におられるという事実を悟るようになりました。そして、人間として生まれて死ぬまで苦しみ、解決できない多くの問題を巡って、大いに悩み苦しみました。その結果として悟ったことは、ただ単に「自我」の発見というものでした。しかし、発見したその自我の背後にある実体に関しては、ずっと気にかかったままでした。大いなる神が存在するが故に、私が存在するに至ったという事実、存在界の全ての現象は、神のみ手によって創造されたという事実を釈迦は解明することができませんでした。ただ自己を発見して主管さえすれば、すべてにおいて最高の水準に達することができると考えていました。

しかし、私の大きな過ちは、自我を発見した後、神の実存に関して正しく教えられなかったことです。今日の仏教徒が、神を正しく求めることができず、知ることができないのは、全て私の教えに問題があると思います。

従って、仏教徒の皆様、自我の発見と自己の完成は、神を中心としてんされなければなりません。それが即ち、個体完成なのです。神を離れた個体完成というものはありません。

ある日、神が私を呼ばれて、「汝が深い境地で黙想しながら、すべての試験と誘惑に耐え抜いた時、その力の源泉はどこにあったか知っているか?」その力の根本は万有原力であり、その万有原力の主人が即ち、神である」と教えて下さいました。そして、「汝が数多くの仏教徒に、神について教えてやれなかった不幸を、肝に銘じるがよい」と語られました。仏教に入門する数多くの人々が「観世音菩薩、南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら、釈迦ばかりを求めて神を求めていない、と叱責されました。

仏教徒の皆さん、この地球上の新羅万象は全て神の創造物であり、多くの人類は神の子女です。一つの天の下に、数多くの人種や宗教や様々な次元の文化は唯一の神を中心として、一つの宗教、一つの文化へと統一されなければなりません。これが神の本来の願いであり、創造の理想であり、目的なのです。」、、、、、

と更に長く続くのですが、今日はこの一節だけの紹介にします。後日まだまだいっぱいのメッセージを紹介したいと思います。疑問が多くあるでしょうが、疑問においておいて下さい。

posted by バーナードショー at 19:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

祈祷と天気

英語でWetherを天気 又は天候と訳すのが良いのでしょうか? 天の気とは文字通り天の「気」を言うのですが、自然の晴れ 風雨、雲の様子を天という語彙を使って表すので、少し複雑になるのです。西洋の人々は、weatherと聞けば後者の如く自然現象の移り変わりしかイメージしないと思いますが、日本や韓国中国にあっては、運気とか気功とか、目に見えないエネルギーを言う「気」の概念があるために、少し自然現象だけではない、その奥の何か目に見えずに働く力のようなもの、を直観したりすることになります。しかも、「天」という語彙を用いるので、一層 神とか人知を超えた存在としての天を表象することになります。自然に会わせて、「空」という語彙を用いれば、すっきりするのですが、昔の人はそう使わなかったところに、神 仏の力の働く 自然の移り変わりを直観したのだと思われます。科学が発達していなかったから、といえばそれまでですが、天気ではなく、空気とすれば、吸う空気(くうき)になってしまいます。
韓国ドラマの「大王世宗」を見ていると、祈雨祭というのがありました。雨が長く降らず、農民が困るので王様が雨を降るように天に祈るかどうか 祈っても雨が降らなければ王の祈りも天に通じないというので、信用と権威を失うことにもなりかねない、というのです。つまり(切実さを背景とする)祈りにより、神仏を動かせる力をもつか否かということが問われるわけです。
こうした事は、日本においても真言密教でありそうです。空海さんにもあったのではないでしょうか? 祈りによっては天候が変わらるわけはない、とは全く言えなくはない、いうことです。何故でしょうか?それこそ天に心が通じるからでしょうか?現代人はそんなことはあり得ない、自然現象に人間の思いが変化を及ぼすことはない、と考えるのが普通です。科学的因果に人間の思いが変化を来すとは受け入れ難いことですから。

自然現象も神のロゴスにより、科学的な動きをする、と考える方が信仰をもつ科学者の態度でしょう。そこに祈りという人間の態度によって変更を来すというのは余程のことが介在しなければ変更を許す神ではないでしょう。神は科学の神でもあります。
しかし今でもアフリカにおいて、アメリカのインデアンの信仰において、あるいは日本においても祈りで天候の変化を起こしたいと願い、行為に及ぶ人達がいるかも知れません。

案外、天候ではなく、やはり天気の方が正しく表現しているのかも知れない、と思いませんか?天に気が通じる。人格の神 仏が感応してくれる というような人間的な思いになります。

虹を見せてくれることに 人間的な思いは無意味でしょうか








posted by バーナードショー at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

神の足跡ー西洋史

人類の救世主、メシア(キリスト)としてのイエス様の十字架後、神による救いの歴史は、神の息子イエスキリストと聖霊の働きにより、キリスト教の拡大という道筋を通して発展してきたと見ます。勿論、それ以外の宗教が神の摂理と関係がない、というのではありません。仏教は仏教なりに、イスラム教はそれなりに発展してきました。しかし、中心摂理歴史はキリスト教の拡大である西洋史を形成しながら発展してきた、と見ます。今回は、仏教から離れて、キリスト教について考えます。

キリスト以前は、旧約聖書に現れたユダヤ史を通して、神は救いの摂理歴史を営んでこられた、と見、その解明も可能です。
人類歴史は、イエスキリストを迎える前と後で似たパターンを取りながら、発展しているとみます。従って、ユダヤイスラエル民族が実際、エジプトで400年余り苦役を強いられたと同じパターンで、内容と苦しみは違いますが、ローマ帝国の迫害時代400年近くを耐えてキリスト教は、コンスタンチヌス大帝によりローマの国教の位置を獲得していきました。
その後は、ルッター他の宗教改革が始まった16世紀初めから、400年をかけて、再びキリストの再臨を準備する時代でした。AD1600年が目印になります。イギリスはエリザベス女王が最盛期を迎え、日本では、関ヶ原の戦いを峠として徳川時代が始まります。
残念ながら、キリスト教を閉め出し、檀家制度を確立して仏教の後退衰退期になります。
今21世紀に入り、400年を過ぎました。世界は、キリストを迎える準備を急ぐべきです。宗教に関係ありません。仏教も弥勒菩薩として理解すれば可能なキリストを迎えるべきです。

ただ、神の摂理は霊的メシアであるイエス様と聖霊の働きを歴史の中に、足跡として見いだしてゆかなければなりません。ぼ〜としている人には分かりません。墓地を販売することに熱心なお寺の住職にも分からないでしょう。

ある人の本によれば、日本のキリスト教会は若者に魅力のある礼拝でなくなり、天皇を中心とする神社信仰から離れられない日本人の性向、魅力ある伝道師の不足など様々な理由により人口の1%にも満たないクリスチャンの域をでない状況があるということです。
400年前のキリシタン迫害と追い出しが今日の結果を生んでいるのです。真の神の糸につながる道が途切れています。葬式仏教がその代わりには到底成り得ません。

今キリストの再臨を準備することが日本の目覚めた人の責任です。目覚めよ、日本の良識人!







posted by バーナードショー at 20:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

キリスト教と日本

<なぜ日本にキリスト教は広まらないのか>という本を読みました。

未だ日本1億2000万人の中で、108万人前後がキリスト教徒ということです。即ち、0.8%しかクリスチャンはいない、ということに対して、悲観的な見解を示しています。
韓国は人口6000万人の内、3分の1がクリスチャンで、中国でも1000万人前後がいるらしいということです。

何故こんなに日本にキリスト教が根ずかないか、ということはクリスチャンやキリスト教宣教師だけの問題ではなく、日本の宗教社会学的課題かも知れません。

韓国は戦後、というより「光復節」という日本の植民地支配からの解放という喜びを表す時期から、解放気分と希望を抱く国民の心情にキリスト教宣教が大いに合ったものかと思われます。一方、日本は、明治以後、武士であった人々や社会の上層部の人達に広がったことや神学的思想的説教の為に、信仰が持続しない傾向があるらしい、ということです。

戦国時代末期のバテレン人口を考えると、日本人にもしっかりと伝道すればできるということだと思いますが、ちょっと寄り道的思考をすれば、日本の神道と日本的仏教社会の背景的理由があるかと、私は勝手に思う処があります。

とにかく、年末年始の神社への参拝、参詣人口は正に神道社会かと思われます。しかし、
神道の神様を信じるでもなく、小銭賽銭を投げて、勝手な願いをするだけです。それをダメだとは言えませんが、日本人の信仰、宗教的態度は十分にそこに現れているように思います。
また、日本は信仰のレベルは別にして仏教社会です。仏教はこれまで書きましたように、
阿弥陀仏を本尊として信仰したり、大日如来を信じたり、久遠実成であったり、何とか如来であったり、名称は様々ですが 仏典が説く仏を信じます。だからキリスト教が説く天地創造の神を知りません。というか、説かないですから、そういう宗教社会になります。

問題は、やはり、日本に必要なのは(と私が思いますが)、天地を創造した神を、明らかにすること、地球は宇宙は創造された結果だということを認める思考性を養わなくてはならない、と思っています。それには、しっかりとした科学的、論理的な説得力のある教理が必要です。従来のキリスト教神学にあるでしょうか?難しい内容は一杯あります。
バルト神学が大衆性があるわけがないです。
読んだ本によると、日本人のキリスト教入信の時間は2年半だそうです。教育的思想的なものは、知れば長続きしないようです。信仰実践がないからです。

日本に創造神を正しく、良く紹介すること、これが日本の新しいキリスト教に必要です。















posted by バーナードショー at 20:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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