2009年12月29日

宗教の壁

地上で生きている時に、何かの信仰をもって あの世に行くと、あの世でもその信仰をもった人々が集まる霊界をつくると言われます。民族や益してや肌の色ではなく、やはりその人の心の世界が共通の価値や永遠世界の主として仰いできた「神」あるいは「仏」を中心とする集まりを形成すると言われます。
無神論者は無神論の世界に集まるそうです。
そのようにして、あの世においても、地上の長い時間を経るに従い、そして多く宗教別(信仰別)の世界が創られてきました。目に見えない世界においても宗教別霊界が形成されているということです。地上の国境のように、壁があの世においてもあるということです。日本は、更に大変です。まあ多くの宗教団体があり、それぞれ個別の集団世界を創ることになっています。こうした事は丹波哲郎氏の話をしているのではありません。
神様は地上にこんなに多くの宗教を必要としているのではありません。益して、あの世においても必要ありません。神様にとっては個別集団をつくる程困り、地上の国境のように、行き来することは面倒になります。地上の国境撤廃するべきように、あの世の宗教別世界の境を撤廃しなければなりません。

いえ、既に撤廃されているのです。文鮮明先生の「平和メッセージ」によれば、そして
様々な過去の教祖からのメッセージによれば、そうした境は無く、お釈迦様が、あるいはマホメットが クリスチャンの礼拝に共に参加したり、仏教徒の礼拝にイエス様が参加されて説教されたりしているようです。私はこれを信じます。宗教はそれ自体が目的ではなく、罪からの解放と世界の平和を実現し、神 仏と共に生活することです。従って、宗教がお互いを排斥したり、否定したり、戦うこと自体大いに間違っていることになります。

人間は始祖から間違いました。悪の血統を子孫に残してしまい、神に直結すべき霊的関係が断絶する原因を作り、迷妄世界の存在になってしまったということを認めなくてはなりません。どんなノーベル博士もどんな世界の政治指導者であろうと、どんな偉人といわれる人も、神に断絶した血統の子孫として生まれていますから、神の存在だの神の心だのと言ってみた処でこれに関しては迷妄の世界から抜け出しているわけではありません。
そこで、神は「慈悲」をもって救いの糸であるキリストを地上に誕生させ、またさせる為の準備を長い歴史をかけ、訓練し、信じることを訓練してきました。

残念ながら、いくら偉大な仏教者も、キリスト(でなくば、神に直結させてくれる人物)
に出会い、原罪の除去を受け入れなければ、仏に通じない、即身成仏しないのです。
仏教にはそうした考えが大乗仏教にも南伝仏教にも無いですから、この考えは拒否されます。壁があるのです。この壁が崩せないのです。地上で崩さなければなりません。
「地上で解けば、天でも解かれる」のです。仏教者が自己否定して、仏教否定して、イエス様を受け入れるのはほとんど困難です。それ故に否定しなくても済む道を行かなければなりません。最終目的の為にです。在家僧侶のように既にたいていの僧侶は結婚しています。独身僧侶も含め、この在家僧侶を、神様を中心とする結婚を通じて彼らを天に連結する道があります。「祝福」しなければ、どんなに彼らが生涯頑張っても子孫が、良き子として生まれてくる保障はありません。レールが代わらなければならないのです。ユークリッド幾何学ではだめなのです。いつか交わる平行線を行かなければならないのです。

霊界は統一されています。イスラム教も天理教も生長の家もヒンヅー教もあったものではありません。カトリックもギリシャ正教もあったものではありません。一つの真の霊的父母からうまれた子女がおうして別々の世界を創る必要があるでしょうか?分かれていた兄弟姉妹が家族として出会う時が来たのです。霊界の方が早いのです。心を隠す術がないからです。
新年は壁を崩す勢力の増大と活躍を祈り、自分自身もその一平卒になろうと思います。


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2009年12月22日

命あるものへの慈しみ

映画<セブン イヤーズ イン チベット>(チベットの7年)をDVDで見ました。第二次大戦前、ヒットラーの時代に、オーストリアの登山家2人が登頂できず鎖国中のチベットへ入って行く実話をモデルにした映画です。その中に今日世界中を飛び回って平和のメッセージを講演されるチベット仏教の法王ダライラマ14世の少年時代の様子も描かれています。

その映画の中の一場面に過ぎない話ですが、ダライラマ国王(少年)と親しくなったオーストリア人が少年国王から頼まれた映画館建設現場で、土地を堀り返していた処、ミミズが何匹も出てきてしまうので、輪廻の信仰と慈悲深い人達は工事を止めてしまいます。ミミズと雖も生き物ですから、殺すに忍びなく、出てくるミミズは前世の母の姿かも知れないと信じる人々にとってこれ以上工事できないということです。チベットは大乗仏教と上座部仏教(根本仏教あるいは原始仏教)の両方の性格をもった優れた仏教の伝統をもった土地ですが、輪廻の思想、信仰は厳然と生きていて、そのように生き物を極端にまで尊重する信仰態度をもっていることには、敬意を表しながらも、どこかそうした信仰態度を超然と一歩抜け出していく余地があるかと思わずにはおれません。

しかし、コペンハーゲンでの国連気候変動条約締約国会議(COP15)を見ても、これまでのその歩みを見ても、他に生物多様性への態度を見ても、生き物をはじめとする万物万象への配慮には誠に遺憾千万な事が多く、世界各地で行われている密漁による動物虐待とも言える諸々の事象を考えると、その映画に出てき人々の信仰態度には、現代人が失っているかも知れない<生命への畏敬>の心があるように思います。

私の家内は、A.シュバイツアー博士が活躍された現在のガボン国/アフリカに3−4回ボランテイア活動に行き、ランバレネ病院も訪れ、博士と共に8年医療に従事した高橋博士ともご存命中に東京で知己を得ました。そんな関係で間接的ですが、<生き物への態度>は、その創造主である神様を抜きにして扱うことは人間の傲慢、エゴイズムに思えます。お前は何者か?とお叱りと悲しみを催されるのではないかと思います。

どういう信仰、思想であれ、土中の小さな生き物もこの地上の友達に違いないでしょう。微生物がどんなに人間世界の為に働いてくれる結果になっているか難しい学問をしなくても知ることはできます。アメリカのロック歌手たちがボランテイアで歌って広まった「We are the World」
は、人間だけが作る世界ではないと知るべきではないでしょうか?

小さな生き物から人間同士、そしてこの地球までも深く愛する、慈しむ心と思想とビジョンが国連と世界をおおわなければ、平和の文化、平和の世界は実現できないし、その為に生きるに大いなる価値があるのではないかと信じます。




posted by バーナードショー at 11:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

イエスの涙

2009年度もクリスマスが近づいてきました。日本人は多くがサンタクロースが来る祝日くらいの日としか余り意識しないようですが、イエスキリストの誕生日ということで、キリスト教徒にとって正に祝いの日です。余談ですが、イエス様の誕生日は12/25日ではないということです。

ピーター.シャビエルさんの著書で「イエスの涙」というキリスト教の神学的問題を背景にした優れた小説があります。昨年2008年11月に発行されたものです。内容は、キリスト教の象徴である十字架に対する嫌悪を感じるという「十字架シンドローム」の症状をもつカトリックの修道女と後に神父になる人物を中心とした青年が、2000年近くキリスト教会において、信仰の象徴である十字架が、それで殺害されたイエスの心を表すものだったのかという疑問に、遂にはローマ法王にまで達し、法王自身が2000年来のカトリックの教義の間違いを告白発表するという、キリスト教会にとては衝撃的な内容の小説になっています。
著者のピーター シャビエル氏は詳しいプロフィールは記されていませんが、カトリックとプロテスタントの神学を共に学んでドイツに在住する作家のようです。

今日までユダヤ人達あるいはユダヤ教徒はイエス様をキリストとは認めていないし、預言者の一人としています。そして、カトリックもプロテスタント系のクリスチャンも基本的に人類はイエス様が人類の罪を背負って十字架にかかることによってそれを信じる人を救われる、という信仰、宗教になっています。上記の「イエスの涙」は小説の形をとっていますが、こうした2000年のキリスト教神学に対して真反対の「槍」を突き刺しているようです。即ち、「私の心は誤解されてきた。私の心情を理解して欲しい」とするイエス様の受難の十字架は、旧約聖書や新約聖書に述べ記されている一面の真理であって、本当は地上に平和をもたらし、神の国を実現する為に来られたのであり、誤解と疑心暗記と神の摂理に対する無知によって、最終的に受難を受けるとも、魂において、救いの道を開くために、その道を選ぶしか無かったというのが、本当のイエス様の心情であり、神様のみ旨であるという「驚くべき」ことを表しています。従来のキリスト教徒からは、カトリックであれ、プロテスタントであれ、ギリシャやロシア正教であれ、異端の烙印を押されるものです。しかし、イエスを神自身とするが故に、従来の信仰的観念に留まるのであり、
誰が一体イエス様のように、殺害されることを目的として生まれてくる人がいるでしょう。諸宗教が和解と一致することを通して、平和世界を実現しなければ、いつまでも神を神事ながら、戦争するという悲劇が終わりません。十字架は、ユダヤ教、イスラム教から見ればそんなに喜ばしい象徴ではありません。21世紀は、キリスト教会自体が進んで自らの教会から「十字架を降ろす」という革命的なことをしなければ、それこそ、アフガニスタンやパレスチナ問題、アラブ圏との融和は生まれてこないでしょう。
アメリカは、神のみ旨を知って、そのような立場に立たなければ、平和の騎手には決してなれないでしょう。また、そうする団体があれば、それこそ、平和の騎手に相応しい団体であるに違いないと思います。











posted by バーナードショー at 21:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

造物主から見た資源利用

宇宙創造は神による という立場から書きます。
12月10日ー12日にかけて東京ビッグサイトで毎年開催される環境「エコプロダクト2009」を見て来ました。トヨタやシャープその他の一流企業から小さなNPOや大学の研究室やメデイアその他多くの団体企業が「エコ」につながる様々な製品や工夫の展示や研究活動の報告まで多彩なイベントです。国連地球温暖化防止会議がコペンハーゲンで開催されている時期でもあり、企業であれ大学であれNPOであれ、エネルギーの節約に繋がり、温暖化防止につながる様々な展示と交流の場に、小学生から中高大学生や一般人まで多くの人々が集いました。

農業分野で生かされてこなかった資源や残渣、林業や水産でのそうした残渣や資源、また使い終わった企業から排出される諸々の廃棄物まで、もう一度リサイクル、リユースする効率的な製造機械なども多く紹介されていました。

そうした創意工夫された器械を見るにつけ、自然万物を創造し、この地球資源となっている諸々の物質は一切全て、有効にどんな形であれ何度でもリサイクル、リユースできるように造物主である神はそのように作っているのだとの声を聞くような思いになります。

温暖化の主な原因んいなっている二酸化炭素であれ再度人間を含む地球社会に再利用できるし、その規模や濃度が問題ですが、将来は大気中から吸収して濃度を下げられる技術や工夫もされるに違いないかと思います。益して、農工鉱業の廃棄物や残渣などは必ず様々な技術と工夫で自然サイクルや人間社会の中に生かされるようになっていると神はこの時代の状況に臨んでいるように思います。

人間も創られた存在であり、宇宙や自然環境も万物万象が創造されたのですから、それを再創造するかのようにリサイクルやリユースは当然のことで、技術の発明や工夫は人間の知恵と責任にかかっている、というのが創造主である神に対する人間の立場ではないかということだと思います。創造能力をもった存在としての人間ですから。

そう考えると、どの宗教者であれ、この時代の環境問題に神 仏を求め知る立場から関与する責任もあると思います。実際仏教団体であれ環境活動に積極的に関わっています。
更に連携して取り組めば、もっと素晴らしい宗教になるかも知れません。独自性を誇らず、連帯和合し各自の主張を超越して共同することを神も仏も願っていることを信じます。













posted by バーナードショー at 19:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

相互作用として授受法

自然界を含む世の中のあらゆることが相互相対関係によって成り立っていることはある意味で常識的な知恵でしょう。そもそも「私」という存在からして、単性生殖によらず、親である男女両性の夫婦によって生まれてくるのですから、存在の起源からして相互関係を前提にした存在です。

一般の認識では、相対関係における相互の存在においては、力の関係はそう意識されていないかもしれません。勿論、夫婦、男女のように力関係や仕事の分担などにおいて男性が主であったり、家事において女性が主であったりしますから、立場、位置関係は自ずと意識されています。
物理においても、4つの力の根本においても、宇宙の惑星間においても力のやり取りやそのバランスが効いているように相互作用があります。

ここで、その相互関係を結ぶ2者的存在においては、必ず主体的存在と対象的存在の位置関係を取る事になるという原理、法があります。そして相互関係を結ぶあるいは、相互作用するということは、何らかの授受的様態があることを意味します。
そうした有様を「授受作用」あるいは授受法と呼びます。こえrは人間関係を始め、万物万象に適用できる哲学思考です。哲学などと難しく言わなくても、人間の生体内の動き自体がそういう授受の作用によって生体を維持し、(例えば呼吸も)、家庭も夫婦、親子の授受の関係があって家庭として維持されるし、「森は海の恋人」と表現されるように、森と海は互いに生かし生かされる関係にあるということも授受しているという有様を教えてくれていますし、太陽とその他の星々が力の均衡をもって太陽系を維持していることも、また原子核の中の中性子と陽子も力のバランスを取っています。こうして極小から極大世界に至まで授受作用の法によって森羅万象が動いて作用し合って世界を作っています。

今日は、その中でも授受作用する2者の存在においては、必ず、たがいを結びつける媒介する存在があるということを認識する必要があります。人間関係においても、ある時は愛情、言葉、お金、力、商品、と様々ですが、必ず目に見えるか目に見えないかは別として
お互いの間を行き来する媒介物(物とは限りませんが)が存在します。原子核の世界においては、陽子と中性子を結びつけている「中間子」が存在すると、湯川秀樹博士が理論的に明らかにしてノーベル賞を受賞したことは既に古い戦後まもなくのことです。我々の日常生活においても、見通しや直観が必要な時、2者間に働くこの中間的媒介存在があることを注意深く見通し、思考、認識することは重要なヒントになることを覚えておきましょう。その2者間を行き来する媒介的存在が2者が一つになっている力の源なのです。
家庭の夫婦の間においては、良き正しい動態的愛があればその夫婦は発展するモデルかもしれません。

良き授受作用は、存在と繁殖と発展の原動力です。政府と国民は信頼の良き授受の関係を結ばなくては良き国ができません。
この観点から国連を見れば、多いに問題組織だと分かります。平和への関係構築は現在国連では難しいと思います。このように抽象的なように思うかもしれませんが、具体的
思考の応用展開をしてゆきましょう。





posted by バーナードショー at 22:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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