2009年11月30日

廃棄物という廃棄

新羅万象は神により創造されたものである、という考えと信仰は、ユダヤーキリスト教ーイスラム教に代表されるものですが、ヒンドウー教ー仏教の場合は、そうした「創造」という考えや教えではなく、新羅万象は初めから「有る」ものとして取り扱われています。かつても書きましたが、お釈迦様がそうした何故宇宙が存在するのか、などという問題は取り扱わない、「無記」としているからです。しかし、仏教が大乗化するに当たり、人間界を超越した様々な仏が説かれるようになり、阿弥陀仏、大日如来、毘盧遮那仏、薬師如来、弥勒仏、
久遠実成、観世音菩薩、久世観音などを信仰するようになり、癒し、救世を求めるようになりました。禅宗では、山川草木悉有仏性といい、自然の中に、樹木や花々、にも仏が宿るという捉え方があるので自然を、そういう意味で貴重視する観点をもっています。

話は我々日常生活や産業活動や自然災害の結果出てくる諸々の廃棄物の話ですが、最近では
食品残渣は微生物の力を借りで堆肥にできますから、全くその気になり、システム化すれば、もっともっと有効利用できます。即ち、廃棄しないで、無駄にしないで、有効利用です。その他建築廃材も多いに利用できるものばかりで、全く利用価値の無い部分は本当に少ないはずです。家電製品も資源としてリサイクル、リユースしており、あとは十分に回収量を十全にすることです。排水もまだ相当ただ垂れ流してることが多いでしょうから、
様々な汚物も混合されているにしても技術を高めて相当リユースなり、自然へ無害化して放水できるはずです。

様々なゴミも様々な創意工夫で再資源化できなくてはなりません。先日ある講演、シンポジウムで火山灰も大いなる資源として活用できるというアイデアをのべる人がいました。また砂漠の砂も大いなる資源だと言っていました。
仏教的に、その起源を尋ねないで、「在る」という現実から出発するのも悪くはないですが、新羅万象を創造した創造主、造物主がいると考え、受け入れて作った一切のものへの動機があり、無駄なものは一切なく、一切に意味があり、一切が利用可能である、一切がリサイクル、リユースならぬ無限ユース、無限リサイクルして欲しいという願いを知って
そのように万物万象を暑かって欲しいという造物主の心を大切に考える思想とビジョンをもつならば、もっともっとこの地球環境や新羅万象は生き返るに違いありません。
神はそういう人々、グループ、国民、政府、民族、国連、NGOなどあらゆる次元のあらゆる人々を探しています。
この世に無駄なものは何一つない、という造物主の理念を知って行動する時代です。
地球温暖化のためには勿論、行動の時です。神は余りにも長い歴史と時間を待ってきました。呼ばわる人はいないか、と。国民をうごかし、政府を動かし、国連を動かしてゆく
呼ばわる人を。「前に書きました「蜘蛛の糸」を垂れる釈迦仏のよな静態的救い主ではない、行動し、不動明王や金剛仁王のように「こら!何ばしちょる」と怒る超越者、そんな宗教的存在が臨まれる時代です。













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2009年11月24日

小島嶼国の生きる道

<神は細部に宿る> 小さな島国のについて:

筆者は太平洋、大西洋(地中海、カリブ海を含む)、インド洋にある小さな島国を相手にする仕事に関わっています。国連における気候変動問題に関しての連帯である「小島嶼国同盟」という小さな国々のグループがありますが、筆者は少し、宗教的、天的観点を加えて考え、また教えられたことを含め、述べたいと思います。

極低海抜国と知られるツバルやモルヂブまたキリバスやミクロネシアなどがよくテレビや新聞などのメデイアに登場します。カリブやその他の小さい島国は比較的標高がある国土をもっていたりしますので、将来水没してしまうという程の強調はされません。太平洋は広大な海洋にごまを撒いたように散在していますし、キリバスやミクロネシアのように一つの国でも広大な海洋に散在する島が点々と存在し、国を構成しています。

オセアニア島国は、そのように散在しますが、太平洋島嶼フォーラムというゆるやかな連帯を組んでいます。内側は必ずしも一つになっているわけではないですが、平和外交や経済援助をもって貿易/交流している中国、真逆の広大な国土のロシアがもしイデオロギー的に意図し、軍事的積極策に出てくることがあるとすれば、アメリカやオーストラリアなどの対抗勢力があるとは言え、巧妙な策略をもってすれば、自由/民主主義という立場や
将来、より平和な世界を考えるとすれば、ある種の危険が出てくるという見方をしておくことが必要です。

そこで、日本は島サミットを行って連携策は行ってはいますが、天的?平和な太平洋を考えると、日本とオーストラリア、ニュージーランドを結ぶラインに台湾、フィリピン、インドネシアを加えて、更にこのオセアニアの島国を抱えて同盟に近い連合関係を築くことを教えられました。

中国は上記太平洋島嶼フォーラムにくさびを打ち込んできまして、分裂とまではいきませんが、「一つの中国」政策を盾にそれを受け入れ、指示する国と、台湾を擁護する国々に分かれています。これは、喜ばしい状況ではありません。まずいです。戦後ヨーロッパを復興したマーシャルプランなどのような精神で援助したアメリカのようなあり方を中国が展開するのであれば大歓迎ですが、下心や野心が隠されているかと思われるので、やはり
平和。自由、宗教、などが当然保証される国々がある種の連帯ブロックを持つように、気配りをしている天的事情があることをはっきりと訴えたいと思います。

私たちが高みの観点がもてるかどうかです。








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2009年11月18日

蜘蛛の糸

芥川龍之介の小説に「蜘蛛の糸」という短い作品があります。

かつて国語の教科書にも載ったりしていました。お釈迦様が地獄で多くの罪人と共にいるカンダタという罪人が、過去1度小さな生き物を踏まずに生かしてやったことを思い起こされて、救いの糸を極楽から降ろし救われる可能性を与えられた話です。
細く光る1本の糸にぶら下がり、途中まで昇ってきたカンダタが下に続々と他の罪人も昇ってくるのを見て、自分だけの糸だと思い、切れることを不安に思ったカンダタは、自分だけの糸だと主張した途端糸が切れて、又地獄に落ちて行くという話です。

どんな小さな善行でも仏/神は見逃すこと無く、それは救いの道に通じることを示唆するし、利己心こそ仏の心に通じないことを教え、また仏の慈悲を教え、また救いは聖書で言うように、「天国に入るにはラクダが針の穴を通るよりも難しい」ことも暗示する。

紀元5世紀、宗教会議で異端の審判を受けたネストリウス派キリスト教は、東方伝道に向かい、中国にもアラボンというペルシャ人が布教に入ったと記録があります。いわゆる「景教」と言われ、空海もそのキリスト教に触れたのではないかと推測されています。異端とされた神学的内容は別の機会に譲るとして、とにかく当時東アジアの人々にとって、
キリストに通じる、つながる唯一の道「細い1本の糸」でした。ところが、唐の時代の末期、ある皇帝がキリスト教弾圧・追放により、程なく消滅していきました。その皇帝は中華思想があったようですが、地獄の
カンダタの役割を演じました。日本の戦国時代に来たFザビエルも日本にとっては、1本の糸でありました。その後スペインもポルトガルも伝道師を送ってきましたから細い糸ではなかったかも知れませんが、やはり、秀吉に始まり、徳川幕府はカンダタを演じました。政治的日本の安全保障があったかも知れませんが、摂理的観点からは、やはり「糸」を切ったのです。人間は、キリスト教にしても仏教にしても神・仏の絶対的救いの力に依存する信仰を持ちますが、必ずしもそうではなく、人間の「責任分担」としての態度、姿勢、心の持ち方も随分重要な救いの課題であることを「蜘蛛の糸」は教えていますが、昔から今も神/仏の力と人間の信仰とのバランスが難しいことを教えています。

しかし、この作品に描かれた釈迦仏は、慈悲の行為を行っているのですが、冷めた態度も写しているのが気にかかります。
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2009年11月09日

人間開発とは

人間世界における内在悪は個人内においてばかりではなく、社会そのもの(と言っても所詮人々から構成されるものですが)にあり、そして、
その実体は人間世界の外にあって、人間を惑わす真の心でなない存在=亜、悪であり、悔しいことにその影響を受けてしまった人間のちょっとした不埒な思いに付け入り、正に悪の結果をもたらす力となるものです。人間の本質に関わるこの問題は、人間の霊性の問題であり、国連で取り組んでいる「人間開発」というテーマは、究極的には、人間の霊性の開発にならなくては、本来の人間の尊厳性を取り戻せないと考えます。
国連次元で取り組む人間開発とは、教育の普及であり、雇用の促進であり、技術の普及であり、病苦の削減であり、人権保護であったりするものです。人間の霊性の開発とは、正に人間に備わっている霊的実存体の又その心の啓発であり、その存在への認識から始まる霊的感性の啓蒙に他なりません。世の中には、ノーベル賞を受賞されるような最優秀な方々もおられるし、ローマンカトリックの法王のような宗教者もおれば、恐山の霊媒師のような人もいます。仏教僧も多く、神父や牧師も多くいます。が、しかし残念ながら、全て人間本来の霊性から余りにも完全さから遠い現実であるというしかない判断があります。
物質世界であるこの地球上にすんでいますから、例え霊的世界が実在するとしても、地上生活している限り、霊界は関係ないという見方もありそうですが、違うのです。霊的世界とこの地上世界が緊密に関係して生きているという感性とその認識が十分でない処に「霊性の遠さ」があるのです。
世界の様々な処で起こっている犯罪は、人間の中に悪なる染み付いた知恵から起こってきたり、また悪の霊からの働きかけにより、そそのかされたりしながら、犯罪を起こしています。ヒットラーにいよるユダヤ人600万人の虐殺は、歴史的な意味とある種の償いはありますが、悪なる思いと知恵と見えざる悪霊からの外在的働きかけによるものとしか言いようがないように思います。
キリスト教がサタン=悪魔として、蛇に象徴される霊的実体を嗅ぎ分けてきましたが、いかに人間世界に働きかけてくるのかが分かりませんでした。イエス様の3大試練の中にそのヒントがあるのですが、ほとんどの場合、それは生かされずに、悪の術中にはまることが多く、犯罪として現れてきます。お釈迦様も3大試練のような悪魔の攻撃を受けたにも関わらず、それについて後世生かされずにお話だけで終わっているのは仏教の中での落ち度ではないかと。

犯罪において、魔が入ったとよく言います。正にそうです。全部ではないこともあるでしょうが、魔が間に入ったのです。魔は自己中の中の自己中心です。他者を省みず、犠牲にすることを厭わず、己自身のみの我欲を重視するのです。その血縁をもって生まれてしまっている、というのがキリスト教の原罪説ですが、キリスト教のいかなる牧師も神父も修道士修道女も教皇もそれを脱罪するすべは全く知りません。血縁の断絶をいかに計るか、全て宗教に関係なく全ての宗教の課題としてあるのがこの問題です。牧師の子、僧侶の子として生まれても犯罪因子から逃れられないのです。血縁問題が続いているからです。
ここに真の意味で「救い主」が不可避的に求めざるを得ない理由があります。そして本当の人間開発に進むべきなのです。





posted by バーナードショー at 11:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

摂理的東西連動史

歴史観や歴史の研究については、過去から多くの著名な研究や著書があります。文明単位で研究したアーノルド トインビーの「歴史の研究」サマビエル版を、かつてよく読みました。その他多くの歴史学者や哲学者などが多くの本と歴史観を述べています。

地球は丸い。まだ半永久的に地球は回転してゆきます。そういう地球で、東西を決めるのは、多少課題があるかもしれませんが、歴史上、やはり西洋とか東洋とか、本当は中洋とか
南洋とかも考えられなくてはならないかと思いますが、やはり大きく東西で2分すると、そこは、文明の法則史の研究の本を残された 村山 節 氏によれば、紅海からカスピ海にむけて線を引くと、それを境に東西に大きく分けると、それを境に文明の波動が 逆になっているそうです。その詳細は、その著書に研究されえいるので、この短いブログには書けませんので、それを前提に私の考えを展開します。

結論的に言えば、歴史特に洋の東西で、文明波動がサイン コサインのように逆になっているというだけではなく、連動しているということを強調したいと思います。

今、私は、20年以上も前に、今の中国東北部(旧満州)に建国された渤海について、強く関心をもって資料を読んだことがあります。渤海国は、高句麗遺民が建国したと云われ、韓国で作られた歴史ドラマ「大祚栄 テ ジョヨン」がDVDになっているので、楽しくそれも見ています。唐の時代であり、日本とも新羅を牽制する意味もあって、何度も往来があります。日本では、余り知られていないですが、私は興味が深いです。

そこで、東西歴史の連動の話ですが、この時、つまりヨーロッパでは、800年を中心に
フランク王国チャールズ大帝が法王から王冠を戴く戴冠式をそた年です。ところが、その子から孫の時代に早くも東西に分裂してしまいます。分裂は結果であって、その前に
神の摂理上、好ましからざる要素があったためです。
東においては、唐の盛んな時代を過ぎ、安禄山の乱があり、滅亡に向かう時です。渤海は、670年頃建国し、フランク王国が分裂する頃、渤海も自然災害や契丹の侵略などにより、滅びています。唐が滅びて20年後くらいの頃です。

こうした洋の東西の動きを見ていると、神の摂理が分かれば正に、連動して起こり、崩壊ししていることが読み取れます。即ち東西歴史は何か 摂理を中心に連動しながら、
動き展開しているようなことが読み取れてゆくように思います。

こうした東西連動しているという観点から、歴史を研究してゆくと、ダイナミックな勉強ができて、学生の心を引きつける内容が、歴史への考えを変えてくれる可能性が多いにあるかと思います。関係 影響されながら、背後でつながりながら、歴史が動いているということを知ることができれば大変大きな歴史の把握ができるでしょう。

関心ある方は共に勉強しましょう。











posted by バーナードショー at 18:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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