2009年10月22日

意識の霊性

人間は霊性の無明の中に生きて来た、と仏教は教えています。しかし、仏教は歴史の流れの中で如何に人間の霊性を開発してきたかを明らかにしているだろうか?歴史そのものを扱う道具をもっていないように思います。だからこそ、時空を超えて、悟ることを禅で追求し、時空を超えて救いを求めてきた。

そこで、人の意識も仏教において9識の阿羅野識まで説き、開発が可能なことを示唆しています。人の霊性も意識もまだまだ開かれるべき大いなる境地があるようです。
私達は、森林とか桜並木とか花畑とか植物の声を聞いていません。詩の世界ではなく、現実に樹木が互いに意識や波動を交換しあって、無形のメール交換している静かな交流を聞いていません。まだ、人間がだめな証拠です。もっと身近には、自分の細胞の発する声さえ知らないでいます。樹木は、動けないので、口がなくても、自己表現し、回りに意識を配っているのだと思います。人間の、私の勝手な思い入れではないことを信じます。

シャーマニズム、アニミズムではありませんが、自然界の動きにもそれなりにある種の声が発せられているに違いありません。読み解く本性が余りにも開発されていなくて、科学に頼って、科学で研究した結果を学び、知り得ているに過ぎません。

宗教的修養は、やはりそうした直観、感性、霊性を磨くに役立つもので、宗教否定や価値を下げる唯物思想や左翼的思想には、同じることはできません。

朝や夕暮れの静かな時に心を澄まして、心をみましょう。




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2009年10月18日

根源を突く

今さら素人の私が、意味を問うまでもないけれど、宗教とは、根源についての教え、根源を問いつめること、根源から始まる教え ということです。即ち、根源は、天地と人間の創造をした神から始まるメッセージ、あるいは仏教的に、苦に満ちた環境社会である人間の根本的課題である生きる根本についての問いから始まる。「生」の根源を問うことです。禅では、それに向けて厳しい問いと答えを見いだそうとする。「仏に会っては仏を殺せ」と。
既成の教えや観念や思いつきを切ってしまおうとする。

神道は、浄化の教え。清き明かきことを願い実行する。穢れを避ける。神社の中には、様々な神様になった「人」を祭るものあるが、根源は、天之御中主神、即ち天の中心である神様。神道はこの神様をもっと前面にだして祭祀すれば、民族宗教的域を脱するのではないかと勝ってながら思います。あるいはキリスト教的に、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)を加えて、「三柱の神」として、前面に押し出せば?神様を押し出すとは変な表現ですが、三神を祭祀すれば、(しかも人間の神を祭らず、)宗教的格上げされるかも知れない。こんな考え自体が根源思考ではないかも知れないですが、神道に関してそんな感想を抱きます。

今日は、思想哲学的にポストモダン デカルトあたりあるいはルネッサンス以降?に始まる近代超克の課題を背負って尚十分に抜けきっていない、と言われる。21世紀になった今日においても。

すぐ西洋と東洋という概念で比較しようとする人達は、東洋からそのような思想なり哲学なりあるいは仏教儒教などが広がった社会からそのような「知の範列」がでてくると言うのですが、それも違っているような気がします。

以前にこのブログで書いたID理論もその萌芽を示しているかと思いますが、この天地宇宙や人間を初めとした生物がいかに秩序、法則、数理性、知的に展開しているかを考えた上でのその根本原因を問い、明らかにしようとすることが宗教の宗教たる所以だと思います。既存の宗教は、過去にその根源者と考えられる(存在する)処からのメッセージを伝え、教え、学ぶ拠り所となっていますが、やはり、「神」とか「阿弥陀」とか呼ばれる存在への根源的問いをし、そこからの帰納的知の範列が出て来て、本当にポストモダンになってゆくのではないだろうかと私は、考えます。












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2009年10月10日

現代の問題について

地球上に65億以上の人類が生きて、192以上の大小の国家があり、先進国と発展途上国があり、国連の場で、毎年一回それぞれの国の主張をし、地球の気候が様々な変動して世界の諸地域に自然災害を起こし、それを人間活動が原因としているということが明らかになって、その論議をして、毎年毎年その対処の仕方を巡って先進国と途上国が責任の分かち合いを決められない。自然の生態系は温暖化によると思われる原因や争って資源獲得することで狂い、そうした中にあっても、ケニヤのワンガリ.マータイさんのように、一人でも数千万本の植林にいそしむ人もいる。知らないウイルスによる風邪が流行るかと思えば、人間行為の間違いによるエイズという病気も多くの人々のいのちを奪っている。

こうした人類、世界が抱える問題に、諸宗教はそれぞれいかように考え、対処行動をし、発表しているのだろうか? 

NGOを立ち上げて、世界に派遣したり、現地活動をしたりしている宗教団体、他の自然保護運動に対して助ける意味で、その団体内部で何か海外に役立つものを集めて支援する宗教団体、他の宗教団体と協力した会議などで何らかの声明を発表して、精神的には支援の気持ちを示す団体。このように様々にその形がある。

どの諸宗教の究極者に聞いても、単独で行動し、成果を上げよとは言われないであろうと考えられる。それならば、超宗教的に連合して、世界のリーダ国家やリーダー達に影響を及ぼす程の理念と方向性を与えるような結束をして、世界をCHange してもらいたい。
私もそのような宗教者に会って、交流を望み、大海に一滴の波紋を広げてみることを願ってそれなりに行動しています。

宗教者に偉い冠や肩書きを要りません。正に、草の根の行動と発言が必要です。脳神経のようにあらゆる結束が全体を構成し、敏感に全体を感じます。宗教者の姿勢とすべきではないでしょうか?最早 葬式仏教だの結婚式教会と言われない立ち上がりが望まれています。さあ。









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2009年10月08日

ソフトとハードの二面性

今年7月頃の産経新聞の朝刊に、私には感動する一つの記事がでていました。自衛隊が駐留していたイラクのサマーワに、日本が提供した給水車について、そのタンクの横腹に、あるアニメの主人公が描かれているために今も子供達がいつもその車が走るのを歓迎している、その子達の満面の笑顔を載せていた。それを考えたのは、外務省の現地に派遣されていた職員で、植村さんといったか、今は国連へ派遣されている方だったかと思う。

彼は、十数年前?に日本で人気であったサッカー少年のアニメ「キャプテン 翼(つばさ)」が、中東で、名前を変えて大変人気のあることを知り、それを給水車に貼付けることを考え、著作権者や関係者のk許可を得、子供達への夢っを説き、イラクの子供達もあこがれるアニメの主人公を給水車に描くことをやり遂げた。
そうした心使いが現地で人気を得ていることを知ったアメリカ大使館は、日本の外交フォーラムという雑誌に、そのソフトパワーをもってサマーワの人々の心を捉えた日本の外交力を賞賛したということでる。

即ち、ソフトパワーとは、アイデア、心使い、愛、奉仕、芸術、といった分野がもつ人を動かし、人の心をつかむ力のことだ。

よく言われることだが、西欧の哲学や思考は、2項対立で考える傾向があると言われる。
しかし、物ごとは一切相対的に存在したり、世界はそのような構成になっている。空間は、前後左右上下、東西南北。大小軽重、男女も。顔や四肢五体も。仏教的に考えれば、
お釈迦様がt枯れた縁起の法も一切が相対的関係をもって存在していることを喝破した真理かと思う。

人間の心身関係すらも。現代は、医学においても、心身の関係を観ずしては一方的診察になるかもしれない。

ソフトが心と見なせば、身体はハードの部分。パソコンは正にその2重性でもって機能している。
世界は、自然は、相対性、両面性があることを人にしっかり悟って欲しいと昔から無言の
主張をしているのかも知れない。














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2009年10月04日

地球愛

今日午後地球温暖化防止のCOP15に向けて、鳩山首相が表明したCO2 90年比25%削減に向けてのシンポジウムに参加しました。民主政権が強調するように、従来の考え方を変えなくてはならないという基調が大切であることは、賛成です。政権が変わることの長所と考えたい。

さて、私はこの地球の創造者がいる、という考えに組みするものです。天地の創造者がいますという立場です。しかし、その究極者は阿弥陀仏と言っても差し支えないと思っているものです。「神様」と呼ばれる創造者は、神様と呼ばなければへそを曲げられるような方ではないと信じますから。そう思えば、何と気楽でしょうか?アッラーだ! 大日如来だ!などと競り合わなくても良いではないですか? 昔、モーセが「あなたを何と呼べば良いでしょうか」と尋ねた時、神様は「私は在りて在るものである」と言われました。
聖書にはまた「初めであり、終わりである」「アルファであり、オメガである」とあります。この際、呼び方にこだわらないことにすれば、超宗教的連携の和が広がるのではないでしょうか?

そこで、「阿弥陀様」には創造者のあり方が今日まで示されなかった、そう考えてもらえなかったのですが、阿弥陀様は全く美しい地球惑星を作り出されました。宇宙から見れば、いや、私が見たのではなく、宇宙に飛んだ事のある宇宙飛行士、毛利さんや若田さんたちが見た地球は、えも言えぬ美しさを誇っているそうです。誇らないで、じっとその威厳をもった自然の美しさを現しているようです。

阿弥陀様はその美妙な惑星を人の手にゆだねておられます。その権限をいかに全体で行使してこの地球星を守れば良いかを今考えているのです。温暖化してゆく地球を。

ガイヤ理論を著した Jラブロック博士は、地球星全体を女神に例えました。阿弥陀様はご自身の心を形に現されたのでしょう。すると地球の美しさになったのです。

宗教者も地球を女神として、地球環境を人と他の全ての生き物が安全に生きることができるように美しく、正しく、守り 慈しみ してゆく先頭に立つことが要請されているのではないでしょうか?国においても、国連においても、地域においても いずこにいようとも。
クオ バ デイス ?










 













posted by バーナードショー at 22:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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